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ANGEL FUNDの成り立ち

 

 

長女が2014年9月17日に14歳になってまもない頃、ナイジェリア旅立ちました。

彼女がその決断をした理由は

1・14歳という年齢と、日本でハーフという不安定さからくる外国暮らしへの憧れ

2・5年前自国でビジネスを立ち上げ、ほとんど帰ってこなかったお父さんに対する想い

3・反抗期を迎えた母親との葛藤

4.2年前から引き取った認知症の私の母との折の悪さ

からだったと思います。そうして、最後は私からの言葉がありました。

 

 父親不在の子育てに限界を感じ、私の母と子どもたちのトラブルに疲れ果てていた私は

子どもたちに言いました。(私には、現在中一になる息子がいます)

「あなた達にはにはパパがいる。おばあちゃんにはママしかいない。ママはおばあちゃんに

恩返しをしなくてはいけないから、パパの所に行きなさい。」と、翌朝、長女はいくと言い

息子はいかないといいました。私が家族ごとの移住を切り出さなかったのは、主人の反対と

いくつかの理由がありますが、一番は、ギリギリまで母のお世話をしたい、という想いがあ

りました。

 

 初めての外国、5年間離れていた大好きなパパとの暮らし、期待いっぱいに到着したナイ

ジェリアの空港で長女を待っていたのは、主人の奥さんと9歳と5歳と2歳のこどもでした。長女も私も愕然としましたが、9歳になる女の子の存在を知った私は、長男が生まれた頃の夫婦間の葛藤、輸入業を営み月に一度渡米していた主人にかいまみえた浮気の気配を思い出し、それを簡単に済ませていた自分の情けなさ、悲しみ、それでも日本に私たちの生活を維持してくれた感謝の気持ち、がありました。

 

 さみしかったから、と主人は言いました。両方の家族を大事にする、もしも、私がNOというなら、両方終わりにしてリセット。長女に関しては、できる事はすべてやる、それでも彼女がだめなら、今、経済の心配はないから、英語を学びたいという彼女のため、日本のインターもよし、他の国でもよし、彼女の意思を尊重すると言いました。

 

 私と長女は現状を受け入れました。というより、お互いいろんな想いをして出した決断、このまま進むしかありませんでしたし、私達は、私たちもさみしかった分、主人のさみしさも理解できました。何より、私たちは、息子も含め、主人のことが大好きでした。それは多分、今でも変わらないと思います。私に関していえば、夫婦間がうまくいかなかった頃の申し訳なさもありました。

 

 が、時間がたつにつれ、長女と私の間に、そのことに一度も触れず今回のことを進めた主人への疑問、父親不在の間、長女が夢見たお母さんとお父さんへの夢、家族の姿が、あたりまえのように、日本の家族ではなくナイジェリアの家族で実現している現実があり

私に関していえば、昨年末主人のお父さんが亡くなったことをきっかけに、主人が、私の知らないところで主人の身内には私とは離婚していることになっていること、ナイジェリアでの長女のお母さんはナイジェリアの奥さんになっていることがわかり、THE END。

私自身の経済的自立に向け歩み始めました。

 

 もちろん、そこに至るまで私に様々な葛藤があったように、主人にも長女にも様々な葛藤がありました。そして、私たちはそれを電話の上で話し合いました。主人にとっては、都合が悪かったり、忙しかったり、疲れてしまえば、いつでも切ってしまえる電話でしたし、ナイジェリアに行った当初の長女にとっては、唯一の救いの電話でした。いつしか長女は、私にあまり電話してこなくなりました。私も長女からの電話を拒否しました。長女がナイジェリアに行った頃、困ったことはお母さんにではなく、何でもお父さんに話してほしい、と言い、長女の一番困ったことが私と主人との関係となっていた時、主人は長女がそのことを話すことを禁じました、”大人の話には口は出すな”と。私に対しても、長女が私と話すと精神的に不安定になる、私と話さなければ長女は何の問題もなく大丈夫だ、と言いました。私は私で、そんな主人の言葉より、長女と話すたびに感じられるナイジェリアの家族の様子がたまらなくしんどくなっていました。そうして、私と主人の関係は悪化し、私と長女の会話は不毛なものとなっていきました。お互い、一番肝心なことに触れれば触れるほど、あきらめにしかならない会話…それでも長女は自分は英語を勉強するためナイジェリアに行ったんだから、と勉強を頑張りました。やがて友達もできました。

 

 私は長女に聞きました。「よく頑張ったね。で、これからあなたはどうしたい?」「よくわからない、パパはここで勉強することがエンジェルの将来にとって一番いい、という、でも、ママに会いたい・・・会って、ママと話して決めたい」「パパはエンジェルがママと会うと、ママがエンジェルを日本に帰したがるから会わせない、と言ってるよ。」「パパに確かめる」そして長女は久しぶりに大泣きしました。いつしか長女は泣かなくなっていました。ナイジェリアでは泣くことはとても嫌がられるようです。「ママ、日本で普通のことがナイジェリアでは普通じゃないんだよ・エンジェルはたった一人でこっちにいるんだよ。こっちにあわせないと、エンジェルがおかしな人になっちゃうんだよ」主人は、エンジェルが高校を卒業するまでは、日本には返さない、私にも会わせない、それはエンジェルの将来のためだ、と言いました。

 

 「で、エンジェルはどうしたい?ママはどっちでもいいよ。どっちでもエンジェルを応援するよ」

「日本に帰りたい・・・」長女は言いました。「わかった。じゃ。ママはそっちに向かって進むね」私はそう決めました。

 

 現在、主人は私と長女に対し、ナイジェリアはお父さんの決めたことが絶対、というポジションを取っています。私自身は、主人を待ち続けた子どもたちへの想い、主人への愛情、それでも二つの家族を支えてきてくれた感謝の想い、ここまでこなければ現状がわからなかった母としてのいたらなさ、たった一人異国で長女をそのような立場におかせてしまった申し訳なさもある中、主人との関係をこのような形で終わらせること、長女を日本に帰すことが、彼女のこれから、もう一人の息子にとってにとって、どうなのか揺れ動いているのが現状です。

 

 時、同じくしてナイジェリアの情勢は不安定になり、主人のビジネスは大きな打撃を受け、主人は経済困難に陥りました。もともとは愛情深い主人、二つの家族を支える、という経済手困難も相まって苦渋の選択では?とも思っています。

 ただ、主人が出した決断と、私自身がこの決断を出す中感じた、それだけが本心ではないのがわかっていながらも、私に対する不当な扱い、と子どもたちに対する不当な扱い、そして主人が日本にいる間、ともに仕事をしてきたと自負しながら、私自身に、全く何の経済力もなく、何の経済力もないこどもと母親は、等しくなんの力もない、一番ピンチの時に、その道を選ぶ主人に従うことができなくなっていました。そして、なんの力もない私が”日本に帰りたい”という長女の願いを受け止め、私たちでできることを模索し、友人たちの暖かな勧めもあり、このエンジェルファンドの立ち上げをすることにしました。

 

様々なご意見、ご批判もあるかとは思いますが、共感していただける方が応援しくださり行動してくださることを、大きな感謝とともに待っています。今の私と長女、息子は、皆さんのご厚意に、ただ感謝することしかできませんが、この事が、その現れ方が違っていても、経済力を持たないものがそのことに疑問を感じながらも経済力を持つものに従うしかない、という現実から、その想いを共感する人からのサポートを受け、現実を変えていく小さな足跡になれば、と願っています。       文責 ワジャク結実子

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